Read:GREEN HITS CHAMPIONSHIP HOMER
私はあの瞬間を決して忘れない。あれは優勝を賭けた最終ゲーム。ロングアイランドには5年間毎年負け続けてきた。実際、優勝戦で倒したことは今までなかった。
2回までは1-4で私たちがリードしていた。すると9回の表にL.Iはホームランを打ち、3人のランナーを生還させ、4-4の同点となった。なんともひど い衝撃的な感情が群衆の中で蔓延した。「いい加減にしてくれ、またかよ。」皆が口を揃えて言った。
私たちのチームが9回の裏で攻撃となったとき、希望と恐怖の不思議な感じがした。トム・グリーンが最初のバッターだった。彼は今期調子が良かったが、今日は運が悪かった。二回の三振と、一回の当たりはダブルプレーとなった。
「監督はピンチヒッターを送るべきだ。」そういう者もいた。私もそう考えていた。しかしグリーンはまだ試合におり、打席に立った。私は見るのが怖かった。
その時、私たちは聞いた。グリーンのバットにボールが当たる音だ。そのボールは宙を舞い、フェンスを超えてホームランとなった。試合終了となり、私たちは優勝を勝ち取った。
試合後、私はトム・グリーンにインタビューした。「素晴らしかったよ、トム」と私が言った時、「ありがとう。すさまじい試合だった。だけどフェンスを見て、ボールを見て、その二つが重なったんだ。わあ!気分がいいなって。」
私たちはみんな気分が良かった。ありがとう、トム。グリーン!
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トムはアメリカのスポーツ雑誌での鈴木一郎に関する記事を次郎に見せた。
野球を愛する人なら誰でも「鈴木一郎」について知っている。今日では一郎は世界で最もすばらしいプロ野球選手の一人だ。
私が一郎に初めて会ったのは高校の時だ。ぼくは野球部に参加して、一郎もそこにいた。その部活では一緒の寮暮らしだった。ぼくは寮生活は楽しかったが、楽な生活ではなかった。たくさん練習しなければいけなかったし、毎日洗濯しなければならなかった。洗濯機が十分になかったため、洗濯機を使うために長い時間行列に並ばなければならなかった。
ある晩、ぼくは寝付けなかった。何度も時計を見た。3時になった時、散歩しに起きた。寝ていない少年がもう一人いた。一郎だった。彼は洗濯機を使っている。
僕は言う「一郎、なんで君は朝の三時に服なんか洗っているんだ?」
彼は言う「全員寝てるから、洗濯機のために待つ必要がないんだ。ぼくが深夜に洗濯機を使っているとき、睡眠時間を削っている。でもそれでいいんだ。午後に走ったり練習する時間に使える。」
僕は言う「わあ、君は本当に野球に入れ込んでるね。」 しかし僕はこう考えていた「きみはマジでイカレてるね」って。
僕たちは部活と、自分の家族について話した。「僕の父はより良い選手になるためにいつも助けてくれるんだ。」と彼は言う。「ぼくが小さい子供の頃、父は誕生日に赤い革のグローブを買ってくれたんだ。」
「いつの時だい?」ぼくはたずねた。
「ちょうど小学校に入ったあとだ。」彼は答えた。
「以前は野球のグローブを持ったことがないんだ。この赤いグローブは何年も一番素晴らしい宝物だったんだ。」
「君のお父さんはいい人そうだね。」僕は言った。
「ああ、父が恋しいよ。ぼくの小学校には野球部がなかったから、父がぼくを公園に連れて行って教えてくれたんだ。毎日行ったよ。たまにただテレビを見たいこともあったけど、いつも練習しに出かけたんだ。そうするしかなかった。父は非常に厳しかったけど、すばらしいコーチでもあった。父はすばらしい考えでいっぱいだった。一番は『生死のバッティング』。」
「それはなんだい」ぼくはたずねた。
「父はぼくの2,3mだけ離れて真ん前に立つんだ。父はボールをぼくに投げてぼくは打つんだ。ぼくは父から離れたところにヒットを打つように気をつけなければならなかったんだ」
「危なそうだね」と僕は言った。
「そうだよ。そして硬式球を使い始めたとき、もっと危なくなったよ。それまでラバーボールを使ってたんだ。」
「でもきみのお父さんはまだ生きてるんだよね?なんて運がいいんだ。」 僕は言った。
こんなかんじの野球の練習を聞いたことがなかった。
そのあと時速80マイル(約129km)の速さで投げてくるピッチングマシーンを使ったんだ。最初は打てなかったけど、最後にはできるようになったよ。
「ねえ、そのとき何歳だったの?」
「10歳だったかな。しばらくしてボールを打つのが簡単になっていったんだ。そのマシーンはそれより早く投げられなかったから、父はマシーンの近くまで連れて行ったんだ。そのあとぼくもずっと早く反応できるようになった。」
一郎は日本人初のメジャーリーグの外野手となった。彼に続き、他の多くの日本人選手もメジャーリーグに行った。日本人科学者はノーベル賞を取り、日本人の選手はプロのサッカーやゴルフの選手として国内外でプレイしている。リトルリーグ優勝戦後の若い選手への一郎の言葉を思い出す。「誰もがトップのうちの一人になろうとする。野球でも勉強でも。」
