PROGRESS21 BOOK3 LESSON10 READ 和訳

BORN FREE

旅行とサファリの準備をするため、キャロルは1966年の映画「ボーン・フリー」のDVDを借りた。

この映画は、ジョイ·アダムソンが、ケニアでエルザと名づけた雌ライオンと共に過ごした、体験を書いたベストセラーをもとに作られたものです

1937年にケニアに27歳の友人ジョイは、すぐに東アフリカが大好きになりました。またケニア野生猟鳥獣保護課のジョージ·アダムソンも大好きになりました。

ジョイは植物の緻密なスケッチで大いに尊敬されていました。

ジョージの仕事は人間を攻撃したり畑を荒らしたりしていた野生動物を管理すること

でしたこの二人は1944年に結婚し、ジョイ曰く「1年360日がサファリ」という生活を始めたのでした。

ある日、ジョージは母親が銃で撃たれた三頭のライオンの子どもを見つけました。

ジョージはライオンの子どのたちを家に連れ帰り、ジョイは子どもたちの面倒を見てもよいと言いました。

彼女はライオンの子どもたち、特にエルザと名づけた三頭のうちの最も小さな子どもがすっかり気に入りました。

やがてライオンの子たちは大きくなりすぎて、アダムソン夫婦はその三頭を外国の 園に送ることに決めました。

ある日、ジョージは若いライオンたちを車でナイロビ空港へ乗せて行きました。

しかし、ジョイがエルザのことが大好きで、エルザがいなくなるととても寂しがることがわかっていたので、エルザ

を家へ連れて帰りました。そういうわけで、エルザはアダムソン夫婦と一緒に暮らすことになりました。

エルザは彼らの土地を自由に歩き回り、夫婦と一緒にジープの上に乗って旅行したり、海に泳ぎにさえ行きました。

ついに、エルザが素敵な雄ライオンと出会い、自分自身が子どもをもうける時がきました。

ジョイとジョージは、多大な時間と労力を費やしてエルザが野生へ帰るのを促そうとしました。

初めのうちエルザはそれが単なる遊びだと思ったのでしょう。何度もアダムソン夫婦の家に戻ってきました。

しかし、それは生き残るために、エルザは狩りの仕方や、他の動物の殺し方を学ばなければなりませんでした。

また、他の野生のライオンたちとどうやって一緒に暮らすかも学ばねばなりませんでした。

「僕たちはこんなに長い間あの子を飼い続けるべきじゃなかった。この数年ですっかり僕らに飼いならされてしまったんだ」と、ジョージは落胆して言い、エルザを動物園へ送ったらどうかと言いました。

「自由ってそんなに重要なのか?」と彼は尋ねました。

「あの子は生まれながら自由だったので、自由に生きるべきだわ。エルザがこれから生涯おりの中で過ごすなんて、そんなの嫌よ!」

と、ジョイは答えました。

何ヶ月もの試行錯誤の末、ついにエルザは野生で食べて生きるためにしなければならないことを身にっ

けましたある日ジョージが言いました「苦労が実ったなエルザは野生で自由なんだ。君は寂しくなるかもしれないけど、同時にきっと満足感も感じているだろう。

他のだれもやったことのないことをやっただから。

落ち込まないで。

僕たちがいつか戻ってきたとき、もう一度会えるかもしれないよ。」

アダムソン夫婦はその翌年に戻ってきて、同じ区域にテントを張りました。

「エルザは野生に帰ったかもしれないが、僕たちのことを忘れてしまったはずがない。」と、彼らは考え、待ちました。エルザは風の便りを聞いたに違いありません。

アダムソン夫婦の滞在の最終日に、エルザは三頭の子どもたちを連れてキャンプ地へやってきたのです!

「その後私たちはエルザを何回も見ました。生まれながらに自由で、自由に生きている姿を。」と、ジョイは付け加えて言いました。

このエルザとジョイ·アダムソンの人気のある話は、野生動物保護運動の大きな助けとなりました。

動物園の動物たちでさえ、いっそう自然に近い環境で暮らせることをエルザに感謝してよいでしょう。

CAROL'S SAFARI DIARY

8月8日

ガイドのジュリアスが7時半に車で迎えにきて、マサイ·マラ国立保護区へ乗せていった。

そこは多種多様な野生動物で有名である。パパはスワヒリ語をもうかなり忘れてしまっているようだが、

使うことを楽しんでいるようだ。

ジュリアスは英語をとても上手に話せるのに。夜はバンガローに泊まった。

 

8月9日

今朝サファリに出発。車で平原を横切りながら、ジュリアスはあちこちの動物たちを指さした。

「ほら!あの茂みの後ろにサイが隠れていますよ。」

私たちは初めは見えなかったジュリアスはとても目がよい。

また、二頭のキリンが長い首を使ってお互いにけんかしているのも見た。

なんて奇妙な音!ヒッポ・プール(カバの池)で昼食。水面に目と耳だけが見えて、とてもかわいかった。

実際カバはアフリカで最も危険な動物の一つだ近づきすぎると、襲われる。

そのためヒッポ·プールでは、銃を持った監視員がいつも見張っている。

昼食後、幸運にもチーターがガゼルを追いかけるのを見ることができた。

チーターは時速100キロで走っているようだったが、ガゼルを捕まえることはできなかった。

ジュリアスが言うには、チーターはあまり狩りが上手ではないそうだ。

必ずしも成功するとは限らない。

ジュリアスの驚くべき視力と動物に関する知識のおかげで、動物たちが遠く離れたところにいようが、

近くの茂みに隠れていようが、あらゆる種類の動物を見つけることができた。

いくつかの足跡を見ると

彼は「ああ、2~3時間前にバッファローたちがここにいたようですね」と、言った。

やはりその後、私たちはバッファローの一群を見た。

この初日に私たちはゾウ、ライオン、サイ、そしてバッファローとビッグファイブのうちの4つを見た。

まだ見ていない5つ目はヒョウだ。

 

8月10日

今日はボゴリア湖に向けてマサイを出発。車を走らせていると、奇妙な光景を目にした。

「あれは何?ピンク色の湖に見えるけど、そんなはずはないよね」と、私たちは尋ねた。

実は、そこに何千羽も、もしかすると百万羽ものフラミンゴがいたので、湖がピンク色に見えたのだ遠くから見ると美しい

光景だったが、もっと近くに寄ると真実がわかった。

これらのフラミンゴの中には、死にかけているものや、すでに死んでしまっていたものもいた。

自然は美しいだけでなく、残酷なものでもあると感じた。

 

8月11日

今日は、キリマンジャロ山の麓にあるアンボセリ国立公園に向かう。突然、「バン!」という音が聞こえ、車が揺れてから止まった「タイヤがパンクしたようだな」と、パパが言ったジュリア

スは微笑んで「ハクナマタタ」と言った。 (「大丈夫!」という意味だ。)「サファリではよくあることですから。」

ジュリアスは数分でタイヤを取り換えた。

彼はこういうことに慣れているに違いない。

夜は大きなバオバブの木の下にテントを張った。信じられないほど素晴らしい夕焼けの後、自分の足元が見えないほど真っ暗になった。

寝る前に、ジュリアスは「気を付けてください。寝ている間に動物たち

が忍び込んでくるかもしれませんよ。」と言った。彼の言ったことを信じたくなかったが、遠くで鳴くハイ

エナや草むらで音を立てる小さな生きものの音で、夜遅くまで眠れなかった。

 

8月12日

今日はアンボセリを出て、最後の目的地であるセレンゲティ国立公園へ向けて出発。

「セレンゲティ」とはマサイ語で「果てしない草原」という意味だおそらくヌーの大移動で最もよく知られている。

アフリカの民話によると、創造主の神は動物を作り出すアイデアを使い果たしてしまったので、牛

の角とヤギのひげと馬のしっぽをくっつけてヌーを造ったそうだ, 5月に百万頭以上のヌーが、森林地帯

4動し、11月にセレンゲティへ戻ってくる。

アンボセリを出発する前に、私たちはヌーやシマウマを朝食に食べているライオンやハイエナを見た。

とても気持ちの悪い光景だった。

 

8月13日

セレンゲティでもう一日過ごした。セレンゲティで午後遅く休んでいる間に、他の旅行者の

一人が私を呼んだ。「キャロル!キャロル!ゾウだよ!」

私たちは走って行って、木の下で水を飲んでいる数頭のゾウを見つけた私はゾウの写真を撮るのに夢中になったいたので、ジュリアスの注意が聞こえなかった。

近寄りすぎて、ゾウたちが威嚇してきたのだ。私は忘れていたみたい。

ここは動物園ではなかった!「果てしない草原」では、私たちも他の動物 にすぎなかったのだ。「ばかなことをしてごめんなさい。」と、

私はジュリアスに言った彼はただ微笑んで、「ハクナマタタ」と言った。

 

8月14日

ついにナイロビの親戚の家に戻った最初はサファリに行くのはちょっと怖かったけれど、

とても楽しかったし、素晴らしい景色と刺激的なアフリカの動物たちを楽しむ機会がもてたことをうれしく思う。