"I WISH I WERE DOWN THERE NOW"
時は1955年。アーサー・マーチは6歳でした。彼の兄のジミーと友人は湖に行こうとしました。
「お前はついてこれないよ、アーティー。」ジミーは言いました。
「ついてきてなんかいないよ。」アーティーは小声で言いましたが、実際にはついてきていました。
「もっと大きかったらついてきてもいいけどな。俺たちは大事なことをするんだ。
大きい子がすることをな。カエル取りさ。」ジミーは言いました。
「いっしょにこさせたほうがいいぜ。ほら、泣きかけているぞ。」と、ジミーの友達が言いました。
「泣いてなんかいるもんか」アーティーは言いましたが、実際には泣き出していました。
「わかったよ、アーティー、いっしょにきていいぞ。」と、ジミーは言いました。
友達の方を向くと、続けて言いました。「あんなふうに泣かれなきゃいいんだけどなぁ。それに、どこへでもあいつを連れて行かなくてもよかったらいいのになあ。」
少年たち3人はいっしょに湖へ向かって歩きましたアーティーは腹の虫がおさまりませんでした。
「お兄ちゃんは、僕が泣き始めたからこさせただけなんだ。お兄ちゃんぐらい大きかったらなあもっとお金があったらなあ。
もっと大きくてもっと強くて、もっとお金があったらなあ。自分で湖を買って、お兄ちゃんなんか近寄らせないのに。」
と、アーティーは独り言を言いました。
ちょうどそのとき、アーティーは空を見上げて、飛行機が上空を飛んでいくのを見ました。「あの飛行機
の中にいたらなあ。たくさんお金があったら、世界中を飛び回れるのに。今、あの飛行機の中にいたらな
あ!」
= = = = = =
年は2005年。少年は大人になり、今や彼を「アーティー」と呼ぶ者はだれもいませんでした。
みな彼を「マーチ氏」とか「マーチ様」と呼びました。裕福で成功した実業家になっていました。
だれよりも懸命働くことで、お金と高い地位を得ましたが、そのお金で買ったものを楽しむ暇がありませんでした。
自分の時間のほとんどを会社の出張旅行に使っていました。
ある日彼はエディンバラからロンドンへ飛行機で戻るところでした。
「エディンバラは美しい町です。見て回る時間があったらよかったですねえ。」と隣の席に座っていた部下が言いました。
「今年は6回も行ったが、見たところと言えば会議室だけだ観光の時間もなかったし、本当に何もす
る時間がなかったな。」と、マーチ氏は言いました。
飛行機の窓から眼下に小さな湖が見えました。その岸沿いに豆粒のような人々が歩いているのが見える
ような気がしましたマーチ氏は部下に言いました。
「あそこを見てごらん。兄とカエル取りをした子供のころのことを思い出すなあ。兄は私に優しかった。どこへでも一緒につれて行ってくれたものだ。
もう何年も会っていないなあ。こんなに忙しくなかったら、故郷に帰って、兄と一緒に時間を過ごせるのになあ。」
そして、ため息をついて言いました。
「ああ、あのころが人生で一番幸せだった。今あそこにいられたらなあ!」
A SMALL WORLD WITH A SHORT HISTORY
国連の2012年統計によると70億5212万5000人が世界にいると聞いたらどう感じるだろうか?
その数があまりにも大きすぎて、目まいがする。
人間がこの惑星に何百万年も生きてきたであろうということ、あるいは人類以前から他の動物が何十億年も
生きてきたであろうということを聞くと、もっとくらくらするだろう。
そして、ある星からの光が我々に届くのに何十億年もかかるとだれかから聞くと、自分が本当に小さなものであると感じる。
世界には34億9546万3000人の女性と35億5667万3000人の男性がいるとだれかに言われたとしたら
控えめに言っても、戸惑うだろう。
しかし、49.6%が女性で50.4%が男性だと聞くと、理解しやすい。
こういった数字は想像がつきやすいのだ。
1990年、ドニラ・ミドウが書いた有名な書籍「State of the Village Report」では理解しやすいように世界の人口を1000人の村に縮小している。
このようにすると、国連のデータによればこの1000人の村は、496人は女性で504人は男性だということを意味する。
日本の研究ではこのドニラ・ミドウの村を再び100人に縮小した。
この100人の村には、28人の子供と72人の大人がいることがわかるだろう。
アジア人が60人、アフリカ人が14人、南北アメリカがの人が14人、ヨーロッパ人が11人、南太平洋がたった1人となる。
キリスト教が33人、イスラム教徒が20人、ヒンズー教が13人、仏教徒が6人で、その他に多くの他宗教もい
れば、宗教を持たない人々もたくさんいる。
この村では、17人が中国語を話し、8人が英語、7人がスペイン語、4人がロシア語, 4人がアラビア語を話す。
他の言語では、2人に満たない人が日本語を話す。
1人の人間が富の40%を保有し、49人が59%を保有していると聞けば驚くだろう。
つまり残りの人たちには1%しか残されていないのだ。14人は十分に食事が取れず、1人は餓死する。
これらの数字は、常にインターネットで更新され得るものである。
しかし、基本的なデータは年ごとにさほど変わらない。
人類史の年表はどうなるだろう?
紀元前3000年(シュメールで文字による記録が始まったとき)を始点とし、5,000年間(紀元前2000年まで)の記録された歴史を24時間に短縮したとしたらどうなろう?
そうすれば、イエス·キリストの死(紀元前30年)は、午後2:30ごろで、
聖徳太子の憲法十七条の制定(604年)は、午後5:18、産業革命(1750年)が起こったのは午後10:50、宇宙時代の始まり (スプ
トニク、1957年)は午後11:47の出来事となる。
この同じ年表を使うと、15歳の少年少女は24時間の一日のうち、たった4分少々しか生きていないことになる。
この年表を恐竜が含まれるぐらい過去まで引き延ばしたとしたら、
時・分ではなく秒、10億分の1秒の単位で語らなければならなくなるだろう。
我々はこの本当に巨大な宇宙の小さな部分でしかないこのことを信じない人は、人類が作った最速のロケットが太陽系内の別の惑星に到達するのにかかる時間をもう一度見て、太陽系と銀河系、つまり天の川を比べ、そして向こう、そのまた向こう、そのまた向こうへと目をやるべきである。