THE YOUNG NELSON
イギリスは島国であり、常に強い海軍に頼っていたため偉大な海の英雄が数多くいた。
おそらくその中で最も有名なのはホレーショ·ネルソンだろう。その手腕と勇気によってイギリスはナポレオンの脅威から救われたのだ。
ホレーショは1758年に生まれ、12歳で船乗りになったかなり小柄でひ弱だったので、彼が立派な船乗りになるとは誰も思ってはいなかった。しかし、彼は恐れを知らぬ心の持ち主だった。
北極地方で任務に就いていたとき、彼ははらはらするような経験をした。氷上にホッキョクグマを見かけたので、銃を持って追いかけ、撃って傷を負わせたのだ。しかし、手負いの熊は急に向きを変えて、若いネルソンに襲いかかってきた。銃に弾を込める時間がなかったので、逃げるしかなかった。しかし、彼の銃ををこん棒として使いながら、ネルソンは熊の方向かっていった。運良くネルソンの仲間の一人が助けに走ってきて、熊の頭を撃ち、ネルソンの命を救った。
ネルソンは勇敢な男であっただけでなく、熟練した船乗りでもあった。航海について知っておくべき必要なことはすべて習得した。十代ですでに十分な経験を積んでいたので、20歳の若さで船隈に任命された。後に彼は自国のために大いなる働きをした。今でも、イギリスで最も尊敬される10人の男性の中に入っている。

NELSON'S GREAT VICTORY
ネルソンは祖国の防衛のため多くの大戦で戦った。ある戦いで右目を失い、また別の戦いでは右腕を失ったにもかかわらず、ネルソンはナポレオンの脅威にさらされていたイギリスを守るために、どんな危険にも立ち向かう覚悟だった。
ヨーロッパ大陸を制服したナポレオンは、今やイギリス優略を計画していた。ネルソン題率いる英国海軍だけが、ナポレオンの脅威からイギリスを守ることができた。スペインとフランスは連合艦隊を作り、 ネルソンを攻撃する準備をしていた。
27隻の船から成るネルソンの艦隊は1805年10月21日、33隻の船からなる連合艦隊を迎え撃つべく、スペインのトラファルガー岬の近くに乗り出した。
ネルソン提督は、敵軍がついに攻撃をしかけてくる気になったのを見て喜んだ。自らが船長を務める「ビクトリー号」から、旗信号で全艦隊に向けてメッセージを送った。「イングランドは各員がその義務を尽くすことを期待する。」このメッセージに励まされて、イギリスの水兵たちに敵を迎え撃つ気持ちがみなぎった。
激しい戦いとなった。巧みに敵軍の戦力を分散させてから、ネルソンは敵の最弱点を攻めた。次々と敵船を沈没させたり拿捕(だほ)したりして、とうとうイギリス軍が戦いに勝った。戦いが終わったころには18の敵船が沈没したり拿捕されたりした。それにまた残りの15隻は敗北のうちにを去った。イギリスの船は一隻も沈められたりされたりしなかった。これはまさを歴史的勝利で、ナポレオンのイギリス侵略計画に終止符を打った。
1805年10月21日はイギリスにとって大いなる喜びの日になったが、現念なことに、深い悲しみの日でもあった。戦いの最中にネルソンは敵の銃弾を背中に受けたのだった。彼は船内に運ばれ、死の床に横たわりながら「戦況はどうだ?」と尋ね続けた。水兵たちが「勝利は我らが手に!」と言うのを聞くと、小さな声で「神に感謝する。私は任務を果たしたので満足だ。」と言った。こう言いながら息を引き取った。
ネルソンの率いた水兵たちは、勝利を得たにもかかわらず、悲しみのうちにネルソンの遺体をイギリスに運んだ。彼は今、セント・ポール大聖堂の地下に眠っている。

トラファルガーの海戦