ST.MARTIN-IN-THE-FIELDS
ジムは30代男性です。事故で背中を怪我したため、彼は何ヶ月も入院し、仕事を失いました。
家賃を払うことができなくなってしまったので、アパートから出されてしまいました数週間彼は路上で過ごした後
毎朝セント·マーティン·イン·ザ·フィールズ教会ヘ、無料で配られる食べものをもらいに行きました。
そのうち、そこの夜間センターに入り、暖かく安全な場所で夜を過ごすことができるようになりました。
ロンドンのセント·マーティン·イン·ザ·フィールズ教会には社会奉仕事業の長い伝統があります。
毎年9千人の貧しい人々に奉仕しています この人たちの多くはジムのようなホームレスです。この社会
奉仕の精神は、教会の守護聖人である聖マーティンに習ったものです。
聖マーティンは4世紀にパンノニア(現在のハンガリー)で生まれました。
青年マーティンは兵隊になりたくありませんでしたが、ローマ軍に入隊しなければなりませんでした。
18歳のころガリア地方で兵役についていたときのこと、ある寒さの厳しい冬の夜に、彼は町の門を馬で通り抜けました。
門をぬけるやいなや、彼は体を温めようと門の石の壁にもたれて座っている貧しい身なりの乞食に気づきました。
マーティンは自分の片からマントをはずし、それを剣でで二つに切り裂いて、半分をその乞食に与えました。
有名な伝説によると、その夜夢の中で、キリスト自信が乞食の姿をし、マーティンのマントの半分を着て、
マーティンのもとに現れたそうです。
キリストはマーティンの親切に感謝しました。
このことでマーティンはキリスト教徒になり、退役する気になりました。
彼はまず、ジェノバの近くの小さな島に、それからガリア地方の田園に退きました。
そこで静かな宗教生活に身を捧げようとしましたが、名声は広まり、多くの信奉者が彼のもとに集まりました。
ついに彼はガリア地方のトゥールの司教になるように呼ばれました。
司教になった後でも、マーティンは質素な家で慎ましやかに暮らしました。
彼は至る所を旅して、キリストの教えを説き、貧しい人々を助けました。
聖マーティンは貧しい人に奉仕する人々の守護聖人であり、模範なのです。
セント·マーティン教会は体だけでなく心の糧をも提供しています。
無料昼休みコンサートは聖マーティンの伝統を受け継ぐまた一つの形なのです。
セント·マーティン·イン·ザ·フィールズ教会でのコンサートが全て無料というわけではありませんが、
どのコンサートのプログラムにもだれでも楽しめる曲があります。
見事な音響効果のおかげで、この教会は多くの素晴らしいオーケストラ、特に1959年に設立
された有名なアカデミー·オブ·セント·マーティン·イン·ザ·フィールズのお気に入りの会場となっています。
大音楽家ヘンデルやモーツァルトもそこでコンサートを開いたと言われています。
ロンドンは大きくなり、かつて「野原の中」にあった教会は、昔の名前のままではありますが、今は町の中心部に立っており、トラファルガー·スクエアに面しています。
ロンドンへ旅行するときは必ずこの素晴らしい教会を訪れてください。
そうすれば、素晴らしいおもてなしとロンドンの最高の音楽があなたを歓迎してくれることでしょう。

セント·マーティン·イン·ザ·フィールズ教会
JIRO WRITES FROM INDIA
君のイングランドへの旅行のことを聞いてうれしく思いました。そしてロンドンの宛名を教えてくれて
ありがとう。封筒に貼ってある切手を見てきっと驚いただろうね。僕はインドからこの手紙を書いていま
でも君がこれを受け取るころには、おそらく日本に戻っているでしょう。
神戸の学校のクラスから15人の生徒がコルカタのホテルに10日間滞在しています(インドでカルカ
ッタのことをコルカタと言う。)高級なホテルではありませんが、この辺りのスラム街と比べると、
一流ホテルのようです。
僕たちが外に出るといつも、人々がお金を物乞いしてきます。通りに横たわっている男の人を見ました。
彼はただ寝ているだけだったのか、それとも死んでいたのか?僕にはわかりませんでした。
また、マザー·テレサの修道女たちが彼のような男たちの世話をしたり、もっと快適な堋乔へ運んだりしているのも見ました。
ここにきて僕たちはかなりのショックを受けています。
学校の「総合学習」の授業で、僕たちはコルカタの高校生たちと文通をしています。
この旅の一番の目的は、その学校を訪ねて生徒たちに会うことです。
インドは情報技術(TT)においてとても進んでいるし、その学校の生徒たちは高度なプログラミングを学習していました。
これに僕たちはみんなたいへん驚きました。
先生は「いいですか。あなたたちはもっともっと懸命に数学や理科を勉強しなければなりません。
、さもないとここにいるお友達に後れを取ることになりますよ。」と言いました。
僕たちはまた、子供たちのセンターを訪ねる機会もありました。
このセンターでは、ハンセン病の親をもつ子供たちに、一般教育や職業訓練を提供しています。
ハンセン病はほとんどアジア諸国ではいまだにけっこうよく見られる病気です。
子供たちは歌やダンスで僕らを歓迎してくれました。
僕たちもお返しに日本の歌を歌いました。
そのあと校庭で一緒に遊びました。数人の子供たちと撮ったスナップ写真を同封します。
彼らの明るい笑顔を見てください!
センターの子供の多くは、自分たちのような子供を助けるために、いつか医師や看護師や学校の先生になりたいと言います。
しかし、全員が夢を実現できるというわけではありません。全員が高等教育へ進めるわけでもありません。
実際、ハンセン病に対する偏見はとても強く、この子たちの多くは自分の地域社会を出ることもできないでしょう。
とにかく、これは校長先生が僕たちに話してくれたことです。
ここにいる間に、見たいものやしたいことがたくさんあります。
全部することはできませんが、出発するまでには有名なタージマハルを見ていることになるでしょう。
それはデリーの近くで、帰りの便はそこから出ます。
タージマハルは世界で最も美しい建物の一つだと言われています。
あるインドの皇帝が妻の墓として作らせました20年の歳月と多大なお金がかかったのだから、
彼は本当に奥さんのことを愛していたのでしょうね!
日本に戻ったら、ここで体験したことについてもっと書きます。
君もロンドン滞在を楽しんでいればいいですね家に帰ったら互いにメールで連絡をとりましょう。
メアリーとご両親によろしく。
次郎より

インドのスラム
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