Section1 ナチスがポーランドを征服した後、ポーランドで何が起こったでしょうか?
1939年、ナチスがポーランドへ侵攻し、ヨーロッパで第ニ次世界大戦が勃発しました。
ナチスがポーランドを征服のすると、すでにドイツでは始まっていたユダヤ人への迫害が、ポーランドでも始まりました。
ユダヤ人は全員、年齢や性別に関係なくゲットーとして知られるそれぞれの都市の特定の地域に住まわされました。
彼らはゲットーから出ることを禁止され、そうしようとした者はみな殺されました。
invade:侵略する Poland:ポーランド break out:勃発する take over:奪い取る persecution:迫害
regardless:気にしない regardless of:~にかかわらず sex:性別 ghetto:ゲットー,ユダヤ人居住区 forbidden:禁止された
Section2 ゲットーの状況はどのようでしたでしょう?
ゲットーの状況は劣悪でした。ユダヤ人の多くは飢餓や病気に苦しみました。
ナチスがユダヤ人を劣等人種とみなしたので、彼らを助けるためにされたことはほとんどありませんでした。
ところが、病気がゲットーから外側へ広がるかもしれないという心配がありました。
伝染病を継続的に調査するためにほんのわずかな人数のソーシャルワーカーたちがゲットーに入ることを許されました。
彼らは状態を監視することは認められましたが,助けることは認められませんでした。
もし彼らがユダヤ人を助けたら,それは本人とその家族に対する厳しい処罰を意味したことでしよう。
このようなソーシャルワーカーの 1人がイレーナ・センドラーでした。
Section3 イレーナはゲットーで何を実行に移したのでしょう?
イレーナは, 1910年.ポーランドの首都ワルシャワで生まれました。ソーシャルワーカーとして,彼女はワルシャワの貧しい人々に食べ物や生活必需品を提供する手伝いをしてきました。
彼女が助けた人々の多くはユダヤ人で,彼らはナチスの侵略のあとワルシャワのゲットーに住まわされていました。
イレーナは危険を知っていましたが,これらのかわいそうな人々に背を向けることは耐えられなかったのです。彼らそれに値することは何もしていなかったのに苦しんでいるのですから。彼女はゲットーに入り、そこにいる人々を是非助けたいと思っていました。
か弱く罪のない人々を助けることは,彼女が自分の父親から学んだことでした。イレーナの父親は医者でしたが, 1917年の病気の流行中に,貧しいユダヤ人の患者たちを治療していて亡くなりました。
彼はかってイレーナに言いました。 「もしいつか、誰かがおぼれているのを見たら,水に飛び込んで彼らを助けようとしなければならないよ。たとえおまえが泳げなくても、そうしなければならないのだ。」
後にイレーナは,たとえ彼女が自分自身は弱いと考えたとしても,いつも弱い人を助けなければならないことを父が自分に教えたのだと理解しました。
今ゲットーの中でイレーナはこれを実行に移すことができたのです。
eager:渇望する be eager to do:したがる innocent:無実の put ~ into practice:実行に移す
Section4 多くのリスクに直面したにも関わらず、イレーナは何をしようと決断したのでしょう?
ゲットーの中で最も弱い人々の一部は子供たちだったので、イレーナほか何人かが救おうと決めたのは子供たちでした。
これはきわめて危険かつきわめて困難なことでした。
第ーに、ゲットーからのすべての出口は見張られていました。
第ニに、出て行く者は誰もが徹底的に調べられました。
最後に、ユダヤ人を助けているところを見つかった者はみな射殺されたのです。
イレーナをはじめとする何人かはこのことにもかかわらず、協力して子供たちをひそかにゲットーから安全なところへ連れて行こうと決めました。
イレーナは 1250人を超える子供たちが逃げるのを助けました。
子供たちは箱や袋の中に隠されました。
彼らは野菜の山の下や古着の中に阻れてゲットーから運び出されました。
小さな子供たちの中には、イレーナのスカートの下に隠されてゲットーから連れ出された者さえいました。
piles of:積み上げられた,たくさんの
Section5 少女が咳をし始めたとき、イレーナは少女をどうやって救ったのでしょうか?
ある時,イレーナはある少女を彼女の車の後部座席の下に隠していました。
イレーナは彼女に静かにしているように言いました。彼女はせきでとても具合が悪かったにもかかわらず、とてもいい子にしていました。
しかし彼女たちがゲットーを出発しようとした時、何人かのナチスの兵士に車を止められました。
兵士たちがトランクや車の下を調べている間、イレーナは黙って座っていました。
ちょうどその時,少女がせきをし始めたのです。
そのかわいそうな子供はせきを止めようとしましたが、せきこみ続けました。
きっと彼女は発見されてしまうでしょう。
イレーナは何をするべきでしょうか。これで終わりなのでしょうか。
「あれは何だ?」と兵士の1人が言い、それから心配してイレーナを見ました。
彼女は大きな音で立て続けにせきをしていました。
「おまえは医者に診てもらう必要がある!」と彼は言いました。
兵士は彼女に気をつけるようにと言いました。
彼は,彼女が「あの汚れたユダヤ人たち」から悪い病気に感染するかもしれないと言ったのです。
イレーナはその兵士に「ありがとう。」と言いました。
子供は無事でした。
Section6 1943年にイレーナに何があったのでしょうか?
イレーナの幸運はそう長くは続きませんでした。1 3年.彼女はナチスに逮捕されました。
彼らは彼女にユダヤ人の子供たちについて尋問しましたが、彼女は何も言いませんでした。
彼らは彼女を拷問にかけましたが、激しい痛みと苦しみを受けてもなお、彼女はまったく何も言おうとしなかったのです。
ついに彼女の友人たちが救助に来ました。
お金と引き換えに彼女の監視人の1人が彼女を逃すことに同意しました。
彼女自身の安全のために彼女はかくまわれましたが、その隠れ場所からでさえ彼女はまだどうにかして子供たちを助けました。
彼女は最終的におよそ2500人の子供たちを助けたと言われています。
ultimately:最終的に,究極的に
Section7 イレーナが救った子供たちはどうやって戦争を生き延びたのでしょうか?
ところで、イレーナが救ったすべての子供たちには何が起きたのでしようか。
彼らは. 宗教関係の施設やポーランド人の家庭へ連れて行かれました。
親切で勇気ある人々が子供たちを養子にして彼らに偽りの身元を与えたのです。
戦中戦後にわたる何年もの問一子供たちは非ユダヤのポーランド市民として成長しました。
彼らの大部分は,家族の全員を含む何もかもを失いました。
しかしイレーナは子供たちが彼らの過去を失わないことが大変重要であると思っていました。
彼らは自分たちが誰であり、どこから来たのかを知らなければなりませんでした。
彼女はできる限り多くの子供たちの本当の名前,年齢などを載せた名簿を作っていました。
彼女は戦争が終わってから数年後に再び発見されるよう、それをびんに入れて地中に埋めたのです。
vital:重要な,生命の jar:ビン bury:埋める※発音に注意 rediscover:再発見する
Section8 人々がイレーナを英雄と呼んだとき、彼女はどのように感じたのでしょうか?
イレーナが救った子供たちは,自らを「イレーナの子供たち」とよび、彼らの英雄である「母親」を誇りに思っていました。
しかしイレーナは自分自身を英雄であるとはまったく思いませんでした。
「『英雄」という言葉に私をとても苛立ちます」と戦後何年もたってからインタビューで彼女は言いました。
「真実はその逆なのです……。私はほとんど何もしていません。」
イレーナは最終的におよそ2500人の子供たちの命を救いましたが.それでもまだ彼女はほとんど何もしなかったと言ったのです。
あなたは彼女が英雄だったと思いますか?