NEW TREASURE STAGE4 LESSON1 Crossing the Alps by Rail 和訳

Section1 19世紀中期にオーストリアでなにが起こったのでしょうか?

19世紀中期まで、アルプス山脈を通り抜ける鉄道を建設するのは不可能だと人々は考えてきました。

当時は、鉄道工学はまだ最新のものだったのです。

アルプス山脈は、険しい斜面やとても高所のある難しい環境でした。

しかし、数年の計画の後、約2 万人の人々が不可能を達成するために6年間手作業で働きました。

結果として世界初の山岳鉄道がオーストリアの首都、ウィーンの南西に建設されました。

今日に至るまでゼメリング鉄道は、アルプス山脈の自然環境と美しい調和を形成する、土木工事における驚くべき偉業であり続けています。

engineering:工学 challenging:難関 steep:急勾配 slope:坂 construct:建設する
southwest:南西 Vienna:ウィーン remarkable:驚くべき,優れた harmony:調和

 

Section2 ゼメリング鉄道プロジェクトは誰が設計し、指導したのでしょうか?

ゼメリング鉄道事業は,カール・リッター・フォン・ゲーガによって設計され、指導されました。

彼は1802年にイタリアのヴェニスで生まれました。18歳の時,数学博士となり,道路工学と水力工学の仕事を始めました。鉄道工学についてさらに学ぶために.ヨーロッパやアメリカ合衆国を見て回りました。

彼は1 2年の大部分を北アメリカで鉄道や橋を研究して過ごしました。

彼がとりわけ注目したのは新しくできたポルティモア・アンド・オハイオ鉄道で、この鉄道はアレゲーニー山脈を通り抜けていました。

この鉄道建設の質の高さとアメリカの機関車の力強さが彼に大いに感銘を与えたのです。

アメリカの技術者たちは当時、世界最先端の技術をいくつか使っていました。 

hydraulic:油圧 railroad:鉄道 construction:建設 locomotive:機関車

 

Section3 ゼメリング・パスを通り抜ける鉄道を建設することは可能と考えられたでしょうか?また、それはなぜでしょう? 

1840年代初頭、ゲーガはオーストリアに国営鉄道を建設する任務を与えられました。

政府はウィーンと、今日のイタリアの港町トリエステとをつなぐ鉄道を建設したがっていました。

トリエステは帝国にとって重要な商業と海軍の中心地でした。

しかしこの鉄道はアルプス山脈の一部であり、 985メートルもの高さに達するゼメリング峠を越えなければなりませんでした。

そのような場所に必要なトンネルや橋を建設することは,当時の科学技術では不可能であると考えられていました。

馬車だけがこの起伏が多い山地を横断できると人々は考えていたのです。

しかしゲーガはこの難題を受け入れました。 

connect:つなぐ port:港 modern-day:今日の naval:海軍 empire:帝国 location:場所
horse-drawn:馬が引く carriage:乗り物 mountainous:山地の

  

 

Section4 ゲーガの提案はすぐに受け入れられたでしょうか?また、それはなぜでしょう?

この事業は確かに困難であろうと思われましたが、ゲーガは機関車の技術を最大限に活用するゼメリング鉄道に関する計画を考えつきました。

最初彼は国営鉄道の局長へ自分の計画を提出しましたが、それはすぐには受け入れられませんでした。

承認が遅れた理由の1つはこのような事業は以前に行われたことがないというものでした。

例えばこの事業は1430メートルの長さの主要トンネルを必要としましたが、そんなに長いトンネルの前例はありませんでした。しかしながら, 1848年のウィーンでの革命の結果、帝国内の他の地域への移動が増加したので鉄道の必要性も増したのです。

make the most of:最大限活用する submit:提出する revolution:革命 

Section5 鉄道建設中に労働者になにが起こりましたか?

ついにゼメリング鉄道の建設が1848年7月27日に始まりました。みなが予想していたように、この事業は信じがたいほど難しいものでした。

当初はおよそ5千人の労働者がいましたが、その後2万人がこの鉄道で働いていました。

今日使われている爆薬や高性能のトンネル掘削機械は19世紀には存在しなかったので、労働者たちは建設のすべてを手で行わなければならなかったのです。

作業は困難で危険なものでした。1850年10月27日, 落石により労働者のうち14人が命を失いました。

1850年から1852年の間に,この鉄道で働くおよそ750人の人々がコレラや腸チフスなどの病気で亡くなりました。 

unbelievably:信じられないほど explosive:爆破用の equipment:機材 cholera:コレラ typhoid:チフス

 

Section6 ゲーガの建設のアイディアとはなんでしょうか?

あらゆる困難にもかかわらず、ゲーガの理想は現実になりました。

彼の鉄道建設の考えは、自然環境との調和に関する配慮はもちろん、最新の科学技術もまた取り入れたものでした。

彼は鉄鋼を使うことを拒否し、その代わりに重要な構造の大部分を建造するのにれんがや石を使ったのです。

約6,500万個のれんがと8万個の石が鉄道の建設に使われました。

沿線の駅や建物の多くは建設廃材を利用して建てられました。

spite:悪意,いじわるする in spite of:にもかかわらず vision:理想 incorporate:取り入れる
latest:最新の reject:拒否する iron:鉄 steel:鋼 brick:レンガ

 

Section7 ゼメリング鉄道はアルプスにどのような変化をもたらしたか?

ついに初めての試乗が1853年10月に行われ、そして1854年7月には初めての乗客たちが旅行をしました。

人々はとうとう、ほんの2時間でアルプス山脈を越えることができたのです。

合計のルートは41, 825メートルに及びました。

その最高地点は標高898メートルで, 当時それまでに鉄道が建設された場所で最も高い地点でした。

ゼメリング鉄道は、生活をさらに便利にしただけでなぐアルプス山脈の自然の美しさをも増したのです。

石の高架橋などの構造物は、鉄道に絵はがき風の美しさを与え,それが世界中から旅行者たちを引きつけました。

特にカルテ・リンネ高架橋は見事でよく写真や絵画に取りあげられてきました。 

trial:挑戦 enhance:広げる viaduct:高架橋 postcard-style:絵はがき風 attract:ひきつける particularly:特に

 

Section8 ゼメリング鉄道は今日では何の役割を果たしているでしょうか?

ゼメリング鉄道が完成してから150年以上が過ぎました。それは今日でもまだ重要な輸送ルートでかつすばらしい観光地でもあります。

訪問者は,オーストリアからイタリアまで列車に乗り、沿線のすばらしい景色を楽しむことができます。

旅程の26マイルのうち3マイルはトンネルを通過し、また1マイルは高架橋から成っています。

建築は自然環境と調和するべきである.というゲーガの理想像に対して, 1851年にナイトの称号が彼に与えられ、さらに何年もの間彼の肖像画はオーストリアの20シリング紙幣に描かれていました。

1998年にゼメリング鉄道は、ユネスコによって世界遣産に指定された最初の鉄道になったのです。 

transportation:交通 destination:目的地 breathtaking:息を飲むほど mile:1マイル(約1.6Km) 
compose:構成する be composed of:~で構成される architecture:建築家 knight:騎士
Austrian:オーストリアの schilling:シリング(かつてのオーストリアの通貨の単位,1シリングはおよそ10円)