Section1 地図は特定の地城の人々の集団について何を教えてくるのでしょうか?
今日では世界のほとんど全ての地城の詳細な地図がいつでも手に入ります。
これは今までずっとそうだったわけではありません。
何世紀も前には、地図は珍しくずっと貴重なものでした。
何千年も前には.地図はほぼ全くなかったのです。
地図製作の歴史は、人間の文明や人問の知識の歴史と密接に関係しています。
地図は特定の地城の人々の集団が当時知っていたことを教えてくれます。
地図は、その集団の世界観,、地形についての知識、さらには優先事項を明らかにするのです。
Section2 最初の知られている世界地図はどこで見つかったのでしょうか?
知られている最初の世界地図は、紀元前600年頃にさかのぼる。パビロニアの粘土板に見られます。
パビロニア人はさまざまな作物を育て.その余剰農産物を他の物品と取引するために近隣の地城へ輸出しました。
取引が成功したので,彼らは自分たちを取り巻く環境についてもっと知りたいと考えました。
このような古代の人々は,地球は平坦であり,自分たちの土地は円形であると信じていました。
この初期のパビロニアの世界地図では、パビロンが中心に配置されています。
地図上の円は主な都市を表しています。
線は川を表し都市の周囲の大きな円は海洋です。
彼らはこれを「苦い川」とよびました。

パビロニアの粘土板
Section3 古代ギリシアで広がり始め,そこの地図に影響を与えた考え方は何でしょうか?
地球の地理に関する知識が増えるにつれて、地図はさらに詳細になりました。
古代ギリシアでは,アリストテレスやその他の哲学者たちのおかげで,天文学の研究が大きな進歩を遂げました。
紀元前330年頃,アリストテレスは地球が球体であるという考え方を受け入れ始めました。
ギリシアの学者プトレマイオスはこの考え方を自身の著書に取り入れ、その中で丸い地球を平面に投影しようと試みました。
彼は地球上のさまざまな地点を、緯度および経度の線との関係で示しました。
この考え方がその後何世紀もの間、地図の製作に影響を与えたのです。
Section4 中世の時代の間、キリスト教はヨーロッパでの思想にどのように影響しましたのでしょうか?
ヨーロッパでのキリスト教の影響は、中世の間に最も強くなっていました。
古代ギリシアで広まっていた自然科学から離れ、聖書を事実として認めるキリスト教世界観への思想の転換が見られました。
この結果、地球平面説への回帰が生じたのです。
この時代の最も初期の地図の多くは, T-O型で描かれていました。
「T-O」地図とは, 大きな円の内側の領城を3つの部分に分けるT字形のあるものです。
地図の最も上の部分は天国を示していました。エルサレムが地図の中央に配置されましたが、それは工ルサレムが文明の中心であると考えられていたからです。
地図の3つの部分はアジア(最大) 、ヨーロッパ、そしてアフリカでありT字形はそれらを隔てる海や河川を表していました。大きな0は大陸の周囲の海洋を表しました。

T-O図
Section5 中世後期に地図製作の様式はどのように変化したのでしょうか?
しかし中世後期には、キリスト教に基づいた簡潔な地図に続き、より科学的に正確な地図が現れました。
海を拠点とした貿易の発達がこの傾向に大いに影響を与えました。
12世紀になると、とりわけ地中海周辺諸国の間で海上貿易が栄え,地図の需要の増大につながりました。
ヨーロッパの貿易業者が.イスラム世界とのものも含めた他の国々と行った交流が.彼らの地図に新しく,いっそう正確な情報を加えるのに役立ちました。
13世紀末におけるマルコ・ポーロのアジア旅行もまた、他の地城の地理を調査し知ることへのヨーロッパ人の関心を刺激したのです。
Section6 西洋における地図製作に影響を及ぼした、ルネサンス期の2つの大きな発展とは何だったのでしょうか?
ルネサンス期に、2つの大きな発展が西洋における地図の精度や有効性に多大な進歩をもたらしました。
1つ目は大航海時代,つまり15世紀から17世紀にかけての時期です。
この間ヨーロッパからの探検家たちが世界を旅をし、すべての大陸と接触しました。
スペインとポルトガルがこの活動の先頭に立ちました。
訪れる地域それぞれの特徴を注意深く害き留める地図製作者が、多くの船に乗船していました。
これは、各帝国が世界の遠く離れた地域に植民地を築き始めていたので、とりわけ重要なことでした。
2つ目の発展は印刷機の発明です。
これによって多くの人々がこれまで以上に詳細かつ正確な地図を共有できるようになりました。
この時代には、世界中で知的好奇心が高まりつつありました。そのため地図には宗教的なものから数学的なものへの明確な転換が見られました。
科学的知識がよりいっそう要視されたこともまた「地球は平らでなく丸い」という考え方を広める手助けとなったのです。
Section7 16世紀に、何が海を航行する方法を変えたのでしょうか?
16世紀には,世界最高の地図製作者たちの多くがオランダから生まれました。
オランダでは海外貿易が特に活発でした。
こうした地図製作者たちの1人がゲラルドウス・メルカトルで彼は1569年に丸い地球を平面に投影するために複雑な数式を利用しました。
彼の地図を使えば、地図に1本の線を引くだけで海をわたって航行することが船員たちにとってはるかに楽になったのです。
その線は彼らの目的地への最短経路を示しました。
その地図は南北両極に近い地城の大きさをゆがめていたにもかかわらず,非常に便利で人気の高い航海用海図製作の方法になりました。
その結果、メルカトルの地図の要は急速に増加したのです。
Section8 どのような要因が現代の地図を完璧に近いものにするのに手助けとなったのでしょう?。
さらに近代になると、世界の旅の記述が地図の正確さをさらに改善してきました。
ごく最近では,計測器や技術の著しい向上が地図をほとんど完墮なものにするのに役立ってきました。
現在は人工衛星や宇宙探査用に開発された技術の一部のおかげで、一般の人々が,精密な地図を通してだけでなく実際の写真を通しても世界を見ることができます。
近年においては,地図の利用は印刷された地図報や地球儀からインターネットへと大きく変化してきました。
もうすぐ私たちは自分たちが選ぶどんな場所についても、本物そっくりの3次元で表現された画像を見ることができるかもしれません。
Section9 地図の発達は何と結びついているのでしょうか?
歴史を通じて地図の発達は,文明,知識,そして世界のさまざまな地域の人々どうしの交流の発達と同時に起こっています。
今日では膨大な種類の地図が利用できるので、人々は自宅でくつろいだまま世界のどの地域も見ることができるのです。
うまくいけば、このことが好奇心を刺激する役割をし、人々は将来もっと移動をしたくなることでしよう。
もしも歴史が何らかの証拠であるならば,知識の探求には限りがないということになるのです。