NEW TREASURE STAGE5 FURTHER READING1 Life on the Ocean Sea 和訳

Section1

夜明けまで半時間…私はカナリア諸島への航路へと旅立ちました…船出してインド諸国に到達するまで航海するつもりでした。

 

ついにすべての手配は完全に整いました。船員たちは乗船していました。

航海士らは甲板で配置についていました。彼らの船長たちからの命令で,それぞれの船はその巨大な帆を広げました。

ゆっくりと,彼らはパロス港から出航しました。1492年8月3日のことでした。

 

乗組員は,最初はスペインの沿岸近くにあるカナリア諸島を目指しました。

ビンタ号のかじは修理が必要だったのと,そこであといくらかの食料を積みこむことができたからです。カナリア諸島からは,西へ吹く風をとらえることができるとコロンブスは考えましたが,彼の思った通りでした。結局,その風がはるばる大西洋を渡って船を運んでくれたのです。

 

1492年9月6日,サンタマリア号とニーニヤ号,そして新しいかじのついたピンタ号は,西南西へ向けてカナリア諸島沖を出帆しました。サンタマリア号はもっとも遅い船でしたが,,コロンブスを船首に乗せてほぼ確実に最前部を航行しました。

 

旅の最初の日々が過ぎるにつれて,航海士らや乗組員は,海上での日常生活に慣れていきました。彼らは結局およそ43日間航海することになりました。これは,人々がクルーズ船に乗って3カ月を過ごすことができる時代には,それほど長い期間とは思えないかもしれません。しかし,中世の船の上の生活環境を考えると,43日というのは本当に長い期間だったのです。

 

今日,船員には乗船する大型船にシャワーやトイレ付きの浴室があります。彼らには,流しやコンロ,冷蔵庫のある台所,そしてシーツや枕,毛布ですっかり整えられたベッドを備えた寝室があります。もちろん,最大の違いは,商用で航海する現代のすべての船舶は,どんなに厳しい嵐やまったく風のない日々でも突き進んでいくことができるガソリンエンジンで動くことです。

 

エンジンや水道水,冷凍技術が発明されたのは,さらに450年後でした。コロンブスは,世界で手に入る技術的に最先端の3隻の船で航行しており,それらはすべて完全に風を原動力としていました。風がなければ,彼らはどこにも行けなかったのです。実のところ,彼の旅の最初の数日間は,船がカナリア諸島近辺の,海岸からわずか数マイルのところで,風がないで進めなくなっていました。やっと風が強くなるまで,皆待たなくてはなりませんでした。

 

 Section2

風がないで進めなくなることは,乗組員はまったく気に病んでいませんでした。食料を食べられるように保ち,害虫を寄せつけないようにしておくことが主な関心事だったのです。コロンブスは自分の貯蔵室に,オリーブオイル,食用酢,チーズ,干しぶどう,米,ヒヨコマメ,レンズマメ,そして豆類を入れていました。これらの食料は,航海の間,上陸するまで持ちこたえてくれなければならなかったので,注意深く配給されました。

 

船員たちは,貯蔵室にはびこるゾウムシやその他の昆虫はもちろんのこと,ネズミやハツカネズミを食料置場から遠ざけようとして,多大な時間を割きました。塩漬け肉は,きわめて限られた量しかありませんでした。たいていは,彼らは生きた魚を船くりから捕り,それを塩漬けにして干しました。船の専属料理人という職業は,あと200年間は考案されなかったので,船員たちが食事をしたいと思ったら,自分たち自身で料理をしなければなりませんでした。男たちは,ゾウムシでいっぱいの粉からビスケットを作り,船が火事にならないように,甲板に置いた砂箱の中で起こした火でそれらを焼いたものです。彼らの最大限の努力にもかかわらず,食べ物はほとんどいつも腐りました。船員たちは,その味を隠すために,大量のにんにくであらゆるものを味つけしていました。時には,彼らは自分たちの食べ物の中にいるウジムシを見ないですむように,夕暮れのあとまで食べるのを待っていたものです。

 

粗末な食べ物や栄養不足は,船員たちが過ごす困難な海上生活のほんの一部分でした。船の空間はきわめて窮屈でした。船長だけが自分の船室を持っていましたが,それさえも簡易ベッドと小さなテーブル用の余地しかない,きわめてせまい部屋でした。普通の船員は甲板で眠りましたが,そこは夜にはじめじめとして寒かったに違いありません。

 

船は不潔でした。提督を含めて誰にも,シラミがいました。ノミやその宿主であるネズミがいたるところにいました。配管設備は一切なかったので,船長たちや航海士らも含めて全員が,船の端から伸ばした粗雑な木製の座席に腰かけて,船くりから用を足したのです。

 

 

船員たちの着ているものは,その周囲と同じくらいに汚れていました。誰もが出航したその日からヨーロッパに戻る日まで,数カ月も続けて同じ組み合わせの服を着ていました。しかし,これは珍しいことではありませんでした。中世の時代では,たいへんな金持ちを除いて,誰しも1度に1組か,せいぜい2組の服しか持っていませんでした。乗組員たちはみな,レギンスを履き,塩を含んだしぶきから身を守るためのフードつきの毛織のスモックを着て,ゴロと呼ばれる赤い縁なしの帽子をかぶっていました。この帽子は,他の人と船員たちを区別する唯一のものでした。誰もが裸足でした。それでも,食べ物やあるいは窮屈な空間をそれほど苦にする者はいませんでした。これらすべてが海での普通の生活だったのです。

 

Section3

少なくともコロンブスによれば、実際の公開は非常に順調だったのです。

天候はすばらしく,船は予定よりも早く進んでいる, と彼は日誌に書いていました。船の進路をだいたい西南西に保つことで,彼は中国の東海岸か,あるいは少なくともそこの周辺の島々の一部へ突き当たるだろうと確信していました。

 

反対に,乗組員にはそれほど確信がありませんでした。彼らが先へずんずん進むにつれて, 1日ごとに自分たちと故国との間にある終わりのない青い海原の距離がどんどん伸びていきました。それまでこれほど長く航海した者はいませんでしたし, それにもかかわらず依然として陸地の影も形もなかったのです。誰もが神経をとがらせ,落ち着かなくなり始めました。 こんなに遠くまで航海したあとに, 自分たちはどうやって故国に帰るのでしょうか。提督は心配しているようには見えませんが,彼は何を知っているでしょうか。

 

日ごとに彼らの動揺はふくらみました。ぶつぶつ文句を言う声が増えていきました。深夜には,暴動をもくろみ始める乗組員もいたのです。提督が北極星によって位置を推測する時に,彼にしのび寄って船から水中に投げ込むこともできました。そうすれば彼らは船の向きを変えてまつすぐに故国へ船を進ませることだってできるのです。

 

Section4

船員たちの不穏な空気は,すぐにコロンブスの耳に入りました。彼は,彼らに騒ぎを起こさせないようにし,満足させておかなければ,遠征を終わりにするか, ことによると自分の命を危険にさらす覚悟でいなければならないことを承知していました。彼は2冊の航海日誌をつけ始めるという方法を考案したのです。 1冊には,船が毎日移動した実際の距離を記録しました。この日誌は,彼以外の目にふれないようにしました。 2冊目の航海日誌には,毎日の距離を何マイルも差し引いて,偽りの数字を記録したのです。あまりにも遠く,あまりにも速く進んでいるという船員たちの不安を解消するために,彼は夜ごとに彼らと一緒にこの日誌を読みました。このごまかしでコロンブスが悩むことはまったくありませんでした。それは,彼が海上の距離を算出するために計算をゆがめるようなものでした。事実を隠すことは,それがまったくの偽りであっても, 自分の思い通りにしている限りは,彼にとって問題ではなかったのです。部下の船長たちや他の経験豊かな船員たちは,おそらくこれらの数字が正確ではないと知っていたのでしょうが, あえて自分たちの提督に逆らおうとはしなかったのです。

 

しかし間もなく,乗組員たちは, 自分たちが遭遇するさまざまな海の動植物に気をとられるようになりました。船は,現在サルガッソー海として知られるところへ入っていたのです。今日バミューダとして知られる場所に近い,大西洋のこの海域には,浮遊する海藻の巨大な密生が, カニ,魚,烏,そしてその他の生き物のたくさんいる生息場所を作り出しています。船員たちは甲板に群がって, 自分たちが目にするさまざまな動物たちに向かって叫んだり指さしたりしました。彼らは網で小さなカニや烏を何羽か捕まえました。

 

自分たちが正しい方向に進んでいるという兆しはどんなものでも切望してしたので, コロンブスは日誌に, その海藻は最近海岸線からはがれたもののようだから, 自分たちは陸地に近づいているに違いない, と書きました。残念ながら彼は間違っていました。船は依然として,陸地から750マイル以上離れた場所にありました。サルガッソー海の海藻は,海底の上の水面を何マイルも浮遊するのです。コロンブスはまた,彼が見たユキヒメドリとアジサシの2羽の烏は陸上の鳥で,それならば上陸が遠いはずがない, と書きとめました。

 

ところが実際, これらの烏は,陸地から何百マイルも飛ぶことが知られています。

 

もっとも, コロンブスは自分の間違いに, この上なく幸せなほど気づきませんでした。まもなく彼は,驚くべき富が待ち受けるインド諸島の沿岸に, 自分たちが近づきつつあることを確信していたのです。

 

 

偽の航海日誌

コロンブスの航海日誌からの以下の引用では,彼は自分の部下たちが騒ぎを起こさないようにしておくための距離の変更について,書きとめています。彼は自分を三人称で表しています。

 

「9月24日, 月曜日。彼は西向きの進路を14.5リーグ(1リーグはおよそ3マイル)航海し, 12と計算した….

 

9月25日,火曜日。彼らはその日,西方へ4.5リーグ航海していた。その夜,17リーグ南西に進み,合計21リーグとなった。

提督は, 自分の習慣にしたがって,部下には13リーグ進んだと話した。彼はまだ,部下たちが航海が長すぎると考えるだろうと懸念していたからだ。

このようにして,航海の間ずっと,彼は2つの船位計算,すなわち1つは偽りの,もう1つは真実のものを計算し続けたのだ。 」