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毎年秋、科学者たち界隈ではそれぞれの分野におけるもっとも名誉ある賞であるノーベル賞の発表を心待ちにします。
しかし,科学者たちが話題にする年に一度の賞はノーベル賞だけではありません。
毎年秋,通常10月にハーバード 大学での小規模な式典で,個人や団体による功績をたたえるためにイグノーベル賞が授与されます。
イグノーベル賞はノーベル賞と同様の生物学,化学,平和,経済学,生理学/医学,文学に加えて, ノーベル賞委員会に承認されていない公衆衛生学,心理学,栄養学, さらにさまざまなその他の学問分野にも授与されます。
これらの分野は,各年の注目すべき発見に応じて変わります。
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ノーベル賞は,人類に利益をもたらす文化的および科学的な進歩を評価するために授与されますが,イグノーベル賞には異なった目的があります。
それは,スポンサーであるユーモア誌「奇想天外科学研究年報」によって次のように明言されています。
私たちの目標は人々を笑わせ, 考えさせることです。
私たちはまた,人々の好奇心をかきたて,さらに疑問を起こさせたいのです。
それは,科学においても他のどのような分野においても,何が重要で何がそうでないか,また何が真実で何がそうでないか,それを人々はどのように決めるのだろうか,という疑問です。
そのため,イグノーベル賞は通常,一見科学的な意義の疑わしい,風変わりでユーモラスな研究に与えられます。
「イグノーベル」という名前はごろ合わせで,「ノーベル」と英語のignobleという単語からできていますが,ignobleとは「性質あるいは目的において名誉ではない」または「生まれの卑しいもしくは社会的身分の低い」という意味です。

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やや怪しげな「最初に人々を笑わせ,それから考えさせる」業績の裏側には,たいてい何らかのきわめて真面目な科学が存在します。
例えばあなたは,からまったイヤフオンのコードやネックレスを手に取って「どうしてこんなふうになったのだろうか」と不思議に思ったことがありますか。
カリフォルニア大学サンディエゴ校物理学部のドリアン・M・レイマーとダグラス・E・スミスは,この疑問に答えるのに科学を利用しました。彼らの研究「激しく揺すられたひもの自然発生的からまり」では,ひもや髪の毛は,人の手が積極的にかかわることなしに,どうしてからまる傾向があるのかを明らかにしようとしました。
彼らの研究結果は米国科学アカデミー会報で報告され,その成果によって彼らは2008年のイグノーベル物理学賞を受賞したのです。
研究では,レイマーとスミスはひもを透明なプラスチックの箱の中に置きました。
彼らが使ったひもの直径は3.2ミリメートルで,1センチメートルあたり0.04グラムの密度でした。
彼らは箱にひもを入れて,その箱を10秒間回転させ,からまりがいつどのようにできるかを確かめました。
これを彼らは,さまざまな長さのひもを用いて,さまざまな回転速度を箱に加えて,3,415回行ったのです。
結果を撮影するのにデジタルビデオカメラを,またできるからまりの種類を分析するのにはコンピューターのソフトウエアを利用しました。
研究の過程で,ひもが十分に長く柔軟性があれば,急速にからまることになると彼らは発見したのです。
数学的理論を使ってそのからまりを分析すると,長さが0.46メートルに満たないひもは,回転する箱の中でからまるほど十分には動かないことがわかりました。
しかし,0.46~1.5メートルのものはからまる傾向がはるかに強くなりました。
さらに,1.5~6メートルのものでは,からまりができたケースはわずか約50パーセントでした。
density:密度 gram:グラム rotate:回転する rotation:回転 analyze:分析する in the course of:の過程で flexible:柔軟な
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ほとんどのイグノーベル賞受賞者がそうであるように,「自然発生的からまり」の研究は,人々に「科学者はどうしてこのようなものを研究するのだろうか?」と思わせます。
しかし,からまりの研究を役に立たないとみなすのは不適当でしょう。未知への好奇心は,あらゆる科学の基礎です。
「科学においてもっとも重要なことは,好奇心を持ち創造的であることだ,というのは研究者たちにとって大事な教訓です。」と,ダグラス・スミスは彼の発見についてのインタビューで述べました。
科学的研究は,基礎あるいは基本科学と応用科学の,2つの主な分野に分けることができます。
基礎科学は新たな知識を発見しようとし,一方応用科学はすでに存在する限りの知識を取り入れて,それを利用して今ある問題を解決しようとします。
イグノーベル賞を受賞した研究の大部分は,これまで基礎科学の分野のものでした。
例を挙げると,「犬にいるノミはなぜネコにいるノミよりも高く跳ぶのか?」「ゆでていないスパゲッティは,曲げるとどうしてちょうど2本ではなく何本かに折れるのだろうか?」などです。
研究のテーマはおかしなものですが,こうしたおかしな疑問の裏側には,すべての科学を推進するのと同じ方法,献身,そして好奇心があるのです。
さらに,これらのおかしな疑問に対する答えが,もっと真面目でいっそう役に立つ分野でのさらなる発見へとつながるかもしれません。
研究者自身は,自分たちの仕事を実地応用できると考えています。
スミスは次のように述べています。「私たちがこれを調べ始めた時,からまりの理論を,実際の物理的なからまりの分析や分類に応用するための実験的な研究は,ほとんど行われてこなかったということがすぐに明らかになりましたし,からまりがどのように作られるかについての理解は,ないに等しかったのです。
けれども,からまりの形成は多くの分野で重要です。
例えばからまりは,長いひも状の分子であるDNAにおいて形成されることが多くあります。
ある種の抗がん薬は,DNA のもつれがほどけるのを妨げることで,腫瘍細胞が分裂するのを阻止するのです。」
application:応用,適用 look into:調べる experimental:実験的 classification:分類 DNA:デオキシリボ核酸 string-like:ヒモ状 molecule:分子 anti-cancer-抗ガン drug:薬 tumor:腫瘍 cell:細胞 unknot:ほどく
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その潜在的な科学的価値にもかかわらず,誰もがイグノーベル賞をおもしろいと考えているわけではありません。
例えば1995年,イギリス政府の首席科学顧問ロバート・メイは,イギリスの科学者たちに賞を授与するのを差し控えるよう, イグノーベル賞委員会に要請しました。
彼は,パロディの賞のせいで, 国民があらゆる科学的研究を見下す可能性があることを恐れたのです。
彼の要請は「なぜ朝食のシリアルは牛乳の中でふやけるか」 を説明したイギリスのある大学の科学者たちの研究に対して与えられたイグノーベル賞に反応したものでした。
しかし, イグノーベル賞受賞者らは快く賞を受け取っていたので, イギリスの科学者たちはイグノーベル賞委員会に, メイ卿の要請を却下するようすぐさま求めました.
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ユーモアセンスが健在の科学者たちは, イグノーベル賞がユーモラスで一風変わった研究に注目を向けていることが,人々にまずは科学者になるきっかけを与える創造性と好奇心の重要さを認めていることであると理解しています。
彼らのユーモラスで不遜な研究によって, イグノーベル賞も報道機関や一般の人々から多くの注目を集めています。
『ネイチャー』誌はイグノーベル賞を「おそらく科学の年間行事予定表の見せ場」 と呼びました。
授賞式はアメリカのナショナル・パブリック・ラジオで放送され,奇想天外科学研究のウェブサイトでストリーム配信されます。
また賞の司会者がかつて冗談で, この賞の目的は「再現できない, あるいはすべきではない」発見を賞賛することであると述べましたが, この賞に向けた熱意が,好奇心に従い,科学を通じて未知なるものを発見するよう, さらに多くの人々を導いてくれるかもしれません。