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自然で捕まえられた魚の代わりとして,栽培漁業つまり養殖は世界中の数多くの人々の今日の食料を維持するために不可欠な技術と言われています。養殖によって生み出される世界の魚の供給割合は,過去30年間にわたって増加してきました。農林水産省の調査によると,1980年における魚の養殖は,魚の供給のわずか10パーセントを占めるだけであったのが,2008年までにはこの量は42.9パーセントに上昇していました。
こうした傾向の背景には,主に先進国における健康意識の高まりや,主として発展途上国における消費需要の増加が原因で,世界中で魚の消費が増えていることがあります。世界最大の人口を抱える中国では,1980年には平均的な人では年間わずか5キログラムの魚しか食べていませんでした。2000年過ぎにはこの数字は25キログラムに増加しました。韓国でも,国民一人当たりの魚の消費量は,魚好きの日本の年間一人当たり65キログラムに肩を並べようとしています。需要が増加していることから,養殖は海洋における乱獲や魚の個体数の激減を防ぐための方法であるとみなされています。
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あらゆる種類の魚の養殖の中でも,各国がとりわけ高い期待を寄せてきたのがマグロの養殖です。日本では,江戸時代後期に,醤油で味付けしたマグロのすしを料理人が出し始めました。庶民はすぐにそれを気に入り,ひいてはこの新たな需要を満たすためにマグロ漁や加工が急増することになったのです。マグロの需要が増加するのに伴って,1980年代半ばには,全世界のマグロの漁獲量の半分が日本向けとなりました。
他の国々でもマグロの消費が伸び始め,現在では全世界の漁獲量のうち日本が占める害ll 合は,およそ30パーセントにすぎません。今日,世界のマグロ漁獲量はおよそ206万トンですが,これは1970年代の2倍を超える量のマグロを私たちは消費していることを意味します。したがって,マグロの供給量が著しく減少するだろうと危倶されています。この割合でマグロが漁獲され続けると,私たちがもうマグロを食べられなくなる日が来るでしょう。こうした状況を考慮して,天然資源への依存を減らすことができるように,日本は魚を養殖する取り組みに着手してきました。
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日本の研究者が実現しようとしたのは,クロマグロの完全養殖でした。クロマグロは,マグロの「ロックスター」と呼ばれることもあり,マグロの全種類の中で最も大きく成長します。その身は最も人気のあるさまざまなすしや刺身を作るのに使われ,もっとも味のよい身はレストランや食料品店で高値がついています。クロマグロの養殖がうまくいけば,国際的な需要を満たすのにおおいに役立つでしょう。
完全養殖とは,魚が人工的な環境でその全牛涯を完結する方法です。これによって人間が,魚をその自然生息環境で漁獲する必要がなくなります。クロマグロの養殖の手順は次のとおりです。最初に,海で稚魚を生きた状態で捕獲し,成魚になるまで育てます。成魚のクロマグロは時速20~30キロメートルの速さで泳ぎますが,若い魚はそれより遅いので捕まえやすいのです。こういったマグロを繁殖させ,その卵が人工繁殖マグロの第1世代を生み出します。この世代はその後成長して人工的な環境での親魚となり,第2世代を生み出すのです。第2世代がうまく生まれれば,完全養殖は成功とみなされます。
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初めてのクロマグロの完全養殖は,近畿大学水産研究所で行われました。研究所は1970 年にその取り組みを始めましたが,うまくその周期を完結するのに32年かかりました。クロマグロを首尾よく完全養殖するまでの長い道のりでは,さまざまな障害に遭遇したのです。
クロマグロは,その他の種類の魚よりも,完全養殖の候補としては扱いが難しいことがわかりました。呼吸するために,クロマグロの成魚は絶えず動き続けて,口の中に流れ込む海水から酸素を取り込まなければなりません。さらに,クロマグロの体は非常に傷つきやすいので,壁や網へ衝突すれば必ず皮膚を傷つけて,死んでしまうのです。
特に,研究者たちは,子が孵化して4~10日後にタンクの底で死んでしまう問題に対処する必要がありました。自然環境にいるマグロの幼魚は,海底の近くで休息する傾向があると考えられています。そこは,波の影響を受けることが少ないのです。ところが,養殖に使われたタンクは,深さがわずか2メートルだったのです。底に沈もうとした稚魚は,タンクの底にぶつかって即座に死んでしまうのでした。研究者たちは朝,魚を点検しては,死んだマグロがタンクの底を覆っているのを見つけることがたびたびありました。
稚魚がタンクの底に衝突しないようにするため,研究者たちはエアレーションと呼ばれる方法を採用しました。エアストーン,これは絶え間なく空気を噴き出すのですが,これを,水の流れを攪枠するためにタンクの底に設置したのです。マグロは夜,底に沈むことが多いので,研究者たちは夜間に空気量を増やしました。これはマグロが浮いたままでいるのに役立ち,タンクの底にぶつかるのを防ぎました。
2002年,初めて養殖が成功した年に,およそ2万匹のマグロが産まれました。ところが稚魚の生存率は極めて低く,最も大きなものでも体長わずか約6センチメートルまでしか育ちませんでした。その後何年かで,マグロを死なせないための技術はさらにもっと進歩して,2009年までには6センチメートルの稚魚の数は20万匹近くに達しました。生存率はおよそ2パーセントから6パーセントに上昇しました。今後,海洋にいる魚に依存するのを減らし,世界の需要に見合うよう安定したマグロの供給を実現するのに役立てるために,魚の供給者たちが,近畿大学水産研究所の取り組みを利用できるようになることが望まれています。
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クロマグロの養殖が進歩したことは, 自然環境に生きるマグロが持続可能だろうという期待を私たちに与えてくれます。それだけではなく,今から数十年後でも,現在の食事の品質を引き続き享受できるだろう, と期待させてくれます。ある程度の成功は収めてきましたが,マグロの養殖技術が,食物の供給を改善するのを十分あてにできるようになるには, まだまだ時間が必要でしょう。 しかしながら,研究者らはそれでも楽観的です。 「私たちは安価でしかもおいしい養殖マグロを提供できるようにしたいと思います。 」 と語ったのは近畿大学水産研究所の熊井英水所長です。 「天然もののマグロだけがおいしい, という先入観を払しょくしてくれるマグロを育てたいのです。 」 日本における魚の養殖が順調に発展していけば,海産物の国際的な需要をまかなえるようになることでしょう。