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1/ 富士山は日本の象徴として知られる。それは静岡県と山梨県の両方に伸びている。
日本にとって 貴重な宝だ。
その大きさと美しさは日本にいる人も世界中から来る人も引きつける。
2/ これは日本で最も高い山でもあり、3776mの高さがある。
一周150kmにもわたり、しばしばその表情を変える。
異なる季節や日時は富士山の新しい美しさをもたらす。
冬には雪で覆われる。人々は「白い富士山」を楽しむ。
夏には多くの観光客が御来光と呼ばれる美しい夜明けを見るためにそれに登る。
登るときに、木や他の植物も楽しむことができる。
3/ 2013年、富士山は文化世界遺産となった。
それが自然世界遺産として選ばれた訳でないことを多くの人が知らない。
これは意外なことかもしれない。
富士山はその文化的価値から選ばれた。
それは日本において宗教、文学、芸術に多大な影響を与えてきた。
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4/ 富士山は活動火山である。
古代では、よく噴火していた。平安時代だけでも7,8回は噴火した。
(今は)300年ほど噴火していないのだが。
昔の日本人は富士山を女神として崇めていた。
彼らは女神の怒りが富士山を噴火させるのだと考えた。
噴火をふせぐために彼らは富士山に神社を立てた。
そこで人々は祈った。彼らは、女神が平静であり続けるように願った。
5/ 遙か昔、人々は魂を清めるために富士山に登った。
彼らは普通は足袋(特殊な白い靴下)を履き、藁の帽子を被った。
登山の後、彼らは清められたかんじがした。
これは重要な文化だ。
しかし家が遠くにあるため、多くの人にとって山を行くことは難しかった。
彼らは時として富士山のような形をした土手を作った。
これは富士山の塚、富士塚と呼ばれる。
彼らは魂が清められたかんじがした。
それは本当の富士山に登るようだった。
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7/ その自然の美しさで、富士山は長い間、日本文学に多大な影響を与えてきた。
日本の作家はよく作中で富士山を用いた。
8/ 奈良時代には有名な詩人、山部赤人が短歌の中で富士山を描写した。
この作品は万葉集に含まれている。
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ
9/ 明治時代では作家は富士山を作中で描いた。
例えば夏目漱石の三四郎では、大学に入るために東京まで移動しているとき、主人公である三四郎が列車から富士山を見た。
彼は富士山について他の乗客であった教授と話をした。
もう1つの例は昭和時代の、太宰治の短編富嶽百景だ。
その中で、様々な人々の異なる日常生活が描かれている。
また彼らの見る富士山の変化していく造形も描写されている。
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10/ 芸術家たちは絵画や版画のテーマとして、他のどの山よりも富士山を選んできた。
葛飾北斎は江戸時代の最も有名な浮世絵師の一人だ。
彼はとても人気高い富嶽三十六景シリーズを作り上げた。
11/ 江戸時代から、浮世絵画家の作品は他の日本の芸術にも西洋の芸術にも影響を与えてきた。
北斎の富嶽三十六景はヨーロッパ、特にフランスで広く知られるようになった。
北斎の富士山の見方は、西洋の芸術を変えた。これらはとりわけフランスの印象派には強く影響を与えた。
クロード・モネは、このシリーズの版画から色と視点の使用について多くを学んだと言われている。
12/ 長きにわたって美しい富士山は、永遠の権化として人々に影響を及ぼしてきた。
富士山は、多くの異なる世代の人々の生活を変化させてきた。
人々は富士山を長い間観察してきた。人々は、富士山の美しさと永遠の偶像を心の中に感じてきた。
富士山はおそらくこのようにはるか未来まで人々に影響を与え続けていくだろう。