FLEX1 Lesson8 Wearable Robots May Change Our Life

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1/ 人類の歴史の中で、多くの人たちが社会に貢献する革新を起こしてきた。

筑波大学のロボット学の教授である山海嘉之はその一人だ。人間、ロボット、そして情報システムの研究の新分野を開拓し、「サイバーニクス」と名づけた。

殆どのロボットは本来、大量生産における産業用途のためのもとであった。

しかし、さんかい教授は異なる考え、全く新しい物を作り出した。

彼の発明HALは着るロボットである。

 

2/ そうするようにあなたは自分の身体を動かせるのか今まで不思議に思ったことはないだろうか。

そうするために、あなたはまず脳の中で考える。

あなたの脳は生体電気信号を送り、それは神経を通り筋肉に達する。

あなたの筋肉がそれを受け取ったとき、あなたの身体は動く。

しかし、もしあなたの脳や神経が傷を負うと、適切に信号を送ったり受け取ることが可能でなくなるかもしれない。

HALはあなたの皮膚の表面上のシグナルがどれだけ弱いかを検出し、それがあなたの動きを援助する。

着られるロボットは強力な力をあなたに与える。

例えば、もしあなたがHALを着て50kgの物を持ち上げた時、ほんの数kgの重さのようにしか感じないだろう。

HALはロボット学での画期的なものだ。

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3/ HALが社会における重要な役割を担うだろうと、大きな期待がかかっている。

老人の介護はその一つの例だ。

日本は、出生率の減少にともない急速に高齢化社会となっている。

2060年までに、全人口のうち75歳を超える人の割合は25%を超えるまで増加するだろうと推定される。

さらに、介護する側の人と介護を受ける側の人の両方が65歳を超えている状態である「老老介護」の問題にも私たちは直面している。

HALは、重労働が必要とされることが多い介護において助けになることが期待されている。

HALを装着することで、介護従事者は高齢者が入浴したり動き回ったりすることをより簡単に手助けできるようになるだろう。

 

4/ HALは、同様に医療にも役に立つ。

これは脳に傷を負って半身がまひしてしまった女性の例だ。

医師はこの後の人生で歩ける望みはないだろうと彼女に話した。

彼女は絶望の最中にいたが、のちに彼女が山海とHAL のことを知ったとき、その状況は変わった。

 

HALを活用した2か月の練習ののち、彼女はまた一人で歩くことができたのだ。

「このように歩くことができるとは想像できなかった」と彼女は言った。

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5/ 山海は岡山県に生まれ育った。

9歳のとき、彼は偶然アイザック・アシモフのアイ・ロボットを読んだ。

これは世界中に読者を持つ古いSF小説だ。

この本は彼のロボット工学に興味を持つ引き金となった。

それ以来、山海はずっと援助の必要な人々を助けられるような新しいロボットを作りたかった。

 

6/ 彼は全ての人生を研究に捧げてきた。

それは順風満帆ではけっしてなかったのだが。

時として、数百回の実験を行わなければならないこともあった。

それは絶え間ない試行錯誤の工程だったが、そのたびに彼はその結果から学んできた。

彼が試みを諦めることを考えたことは決してない。

 

7/ 彼が初めてこの概念を思いついてからHALの原型を作るまでおよそ10年かかった。

その間、研究により多くの時間を費やすために、彼は学会への参加や論文の執筆をやめた。

これは彼が理解をされて研究のための追加資金を得る機会を失うことを意味したが、彼はこの研究はそれ以上のものであると信じていた。

 

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8/ HALが最初に登場してから、山海はその技術を軍事計画に使いたいという海外から多くの要望を

受けてきた。

彼は決して人々を傷つけたり殺したりするためにロボットを作ろうとしたわけではなかったため、彼は躊躇することなくそれらを全て拒否してきた。

彼はロボットは人々の手助けだけをするべきだという信念を変えなかった。

 

9/ HALとサイバーニクスを促進するため、山海はサイバーダインという会社を設立し、そのCEOとなった。

彼はビジネス経験がなかったため、これは彼にとって容易なことではなかった。

しかし、より多くの人々がHALから恩恵を受けられるためにHALの使用を広げるのは人生における使命だと彼は考えていた。

HALは多くの注目を浴び、ヨーロッパでは医療機器としてすぐさま実用に移された。

 

10/ 「私が前の進み続ける理由はシンプルだ。

 もしこれが他の誰かから与えられた計画だったら、成し遂げることはできなかっただろう。

 しかしこれは、私の中から生まれたものだ。」と彼は言う。

 

11/ 困難に直面したとき、

山海は「からい」という言葉をよく思い出す。

「人生における課題は、まるで強い香辛料のようだ。対応するのは難しいかもしないが、つらいものではない」と彼は言う。

革新的な技術への彼の熱情は、アイ・ロボットを読んだときにまでさかのぼる。

時代は変化していくかもしれないが、山海の好奇心と情熱は同じままだ。