FLEX2 Lesson1 Eliza Scidmore and Japanese Cherry Blossoms

Part

1


1/ 白とピンクの桜の花は風になびいている。

どこからか日本太鼓の音が聞こえる。晴れた春の日、数千人の人々が桜の花を楽しんでいる。

それは日本の普通の公園だと思うかもしれない。そうではないが。

ここは日本から1万km離れたアメリカのワシントンD.C.

2/ ポトマック公園の日本桜の木はワシントンD.C.の目印の場所となっており、ここでは全米桜祭りが毎年楽しまれている。

この祭りは春のお祝いである。ワシントンD.C.で開催されるこのイベントは1935年に始まった。

今や、毎年春に数十万人の人々がこれに訪れる。

3/ 今日、桜の花はアメリカ中で楽しまれている。

そして、その中でもこの公園の桜は日本とアメリカにとって特別な意味をもつ。

これらは二国間の友情の象徴なのだ。

Part

2


4/ エリザ・シドモアは1885年に初めて日本に旅行をし、およそ3年間そこに滞在した。

長崎で働いている兄のところに訪れた彼女は、その国と人々に恋に落ちた。

荘厳な景色に彼女は圧倒された。彼女にとってもっとも美しい景色は花咲く桜の木の景色である。これに彼女は息を飲んだ。

彼女は、世界でも桜の花ほど日本で愛されている花はないと書いた。

5/ ワシントンD.C.に帰るとすぐに、彼女はアメリカの人々と共に共にこの素晴らしい経験を共有したいと強く欲した。

「私たちはポトマック公園の沼の土手の周りに桜の木を植えるべきだ。」と彼女は考えた。

シドモアは職員たちと会い、彼らに日本の桜の木の写真を見せた。

不幸にも、彼女のアイディアは成功しなかった。

彼女は新たな職員に接触し続けたが、彼女の要請に誰も耳を傾けなかった。

Part

3


4/ エリザ・シドモアは1885年に初めて日本に旅行をし、およそ3年間そこに滞在した。

長崎で働いている兄のところに訪れた彼女は、その国と人々に恋に落ちた。

荘厳な景色に彼女は圧倒された。彼女にとってもっとも美しい景色は花咲く桜の木の景色である。これに彼女は息を飲んだ。

彼女は、世界でも桜の花ほど日本で愛されている花はないと書いた。

5/ ワシントンD.C.に帰るとすぐに、彼女はアメリカの人々と共に共にこの素晴らしい経験を共有したいと強く欲した。

「私たちはポトマック公園の沼の土手の周りに桜の木を植えるべきだ。」と彼女は考えた。

シドモアは職員たちと会い、彼らに日本の桜の木の写真を見せた。

不幸にも、彼女のアイディアは成功しなかった。

彼女は新たな職員に接触し続けたが、彼女の要請に誰も耳を傾けなかった。

桜の木についてのあなたたちのの提案、誠にありがとうございます。
私はこの件を取り上げて、桜の木をくれると約束してくれましたが、桜の大通りを作り、道の際まで拡張するのが最も良いでしょう。他の部分は植林するには粗すぎますから。
もちろん桜が水に反射する(のを見られる)ことはありませんが、その効果は長い大通りにとって素敵なものとなるでしょう。
これについてあなた方が考えていることはわかりました。

敬具

ヘレン・タフトより

1909年4月7日

Part

4


8/ 1909年8月30日、日本からの公文書が届き、東京の町はアメリカに2000本の桜の木を寄付する予定だと書かれていた。

人々はそれを聞いて感激した。不幸にも、1910年にワシントンD.C.に訪れた時その木々が虫に酷く荒らされていたことがわかった。

虫の荒らしが蔓延するのを防ぐために木々は焼かれなければならなかった。

アメリカ人も日本人も最初の贈り物である2000本の桜の木を焼いたことに失望した。

9/ 東京とワシントンD.C.は別の挑戦をした。

1912年3月27日、ポトマック公園に二つ目に贈り物は届き、3000本の桜の木がそこに植えることに成功した。

ヘレン・タフトはエリザ・シドモアとデビッド・フェアチャイルドの立会いのもとで自らの手で最初の木を植えた。

10/ それ以来、ポトマック公園の桜の木はワシントンD.C.の市民に大切にされてきた。

ピークには7万人を超える人々が花を見に来て、毎年春恒例 (のイベント)を楽しむ。

この町は美しい桜の花の元でアメリカと日本の間の持続する友情を祝うのである。