A EURO'S JOURNEY
「これはこんな見た目だよ」とサイモンが私を手で掲げ、輝く私の顔を賞賛して言った。
「間違いなくこのコインは5回以上は触れられてないよ。ジョセフがこの誕生日プレゼントを受け取ったら喜ぶだろうな。」
これがサイモンがポケットに私を入れて家に持って帰るまでに私が覚えてる全てだ。
私が誰だかわかるかな?
私は1ユーロコイン。2002年1月1日に世界に導入されたんだ。
何千もの兄弟姉妹と共に、いわゆる「ユーロ圏」の12のヨーロッパの国々の旧貨幣と入れ替えるために送り出されたんだ。
史上最も有名なコインのいくつかの後を引き継いだんだ。フランスのフラン、ドイツのマルク、スペインのペセタ、そして他にも沢山ね。
では、サイモンのポケットで運ばれて行くとき、私は非常に特別だと感じた。
彼は家族全体に私を見せ、家族が集まって来たのでまるで映画スターにでもなったように感じた。
「もう一方の面は何?」と彼らが尋ねるので、サイモンは私を裏返した。
有名な音楽家モーツァルトの像があった。私はオーストリアのコインだった。
その後、丁寧な指示をしながら私はジョセフに渡された。
「これは丁寧に扱ったほうがいいよ。1ユーロコインを失くした初めての少年にはなりたくないだろ。」
ああ、あれはいい思い出だ。私は本当に良く扱われた。
だけど、すぐにユーロコインはどこにでもあるようになったんだ。
ジョセフは私への興味を失い始め、彼にしてみればありふれたコインの一つに過ぎなくなった。
ある日、彼は暖かな手で私を包みわざわざ店まで歩いて言った。
こう考えずにはいられなかった「ちょっと外の空気に当たらせてくれないかい?」
その後私を3回も落とさなければならなかった。
彼は口に入れたりなんかもした。私は願い続けた「私を飲み込まないでくれよ。」
結局ジョセフは安い何か(飴をひとつ)を買うのに使って、その後ほぼ毎日オーナーが新しくなった。
私はほぼ毎週レストランのレジに座り、そして誰かの車の灰皿に置かれた。臭いがひどかった!
私は決してここから出られないのかと思った。その車が想像以上にすごく遠くへ走った。
道中ガソリン代を払う手助けをしたが、聞いた言葉はベンツィーナ(イタリア語)だった。なぜならイタリアまで渡って来たからだ。
そこでは物価が非常に高かった。私はソフトドリンクを買うにも十分ではなかった。
ここだけの話、私はいつかポルトガルに行きたかった。ポルトガルでは物価は安めだ。そこでは私のような1ユーロコインは実際幾分かの価値があった。
ポルトガルでは私はコーヒー一杯を買うのに十分な価値があったし、お釣りがくるほどだった。
しかしイタリアではそうではなかった。そこでは十分な額として買わなかった。
イタリアで1ヶ月以上、そしてフランスで二週間過ごした。
フランスに滞在してる間、私は自動販売機でドリンクを買うのに使われた。
私は集められ、計数され、銀行にたどり着いた。私のような他の多くのコインたちと一緒にしばらく引き出しに座った。
私たちの多くは、裏側に様々なデザインを持っていた、アイルランドハープやレオナルド・ダビンチによって描かれたものだ。
私たちは違う言葉を話すけれど、簡単にお互いの国々を廻ることができた。
私の全ての旅で、私は決して洗われたことがなく、今すぐ本当に入浴が必要だ。
私は指紋や汚れとほこりにまみれ、全ての輝きを失ってしまった。
私はかつては銀や金のように見えたものだが、最近は鉛のように見える。私が使われ過ぎて過小評価されてきたのは事実だ。
私は休みが必要だ!
ともかく、手短に言えば、私は今やオランダの宝石箱に座っていて幸せだ。
私はなぜだか分からないが、私の持ち主が言うには、私は彼女の「幸運のコイン」で私を使うのを拒んでいる。
私はしばらくは少し休みを楽しむことができる。
しかし、もし私が再び通りにでたら、何が起こっているかあなたに教えてあげますね。

当初の1ユーロコイン(オーストリア)
国によってデザインが異なる

現在のユーロ圏
IT'S NOT EASY TO BE A FIGHT ATTENDANT
FA(飛行機の客室乗務員)の仕事は見た目ほど簡単ではない。現代の飛行機が大きく速いと言えども、長旅は誰に取っても快適ではないし、疲れるものなのだ。
ほどんどの人は映画やテレビ番組を見たり、本を読んだり寝たりしてリラックスするよう頑張ってみるが、具体的な要求や不満が多く、何回も質問される。
「自分の席を変えたいんですが。」飛行機が満員なのにある男が要求してくる。
「もう一杯飲み物をもらえますか?」別の人はすでに四杯も無料ドリンクを飲んでいるのに、こう要求してくる。
「あとどれくらいで到着しますか?」着陸時間を何度もアナウンスされているのに、年配の女性はこう尋ねてくる。
人は時として怠慢で不合理なものだ。
しかし良いFAは 彼らが心配であったり恐れているだけであろうことを知っている。
どこかに旅をするとき、誰であろうとできる限り良い経験をする権利があるため、FAはいつ何時もより親切で礼儀正しくプロであろうと努力しなければならない。
しかし、FAが対処しなければならないことで最も難しいことの一つは大きな集団ツアーである。
今日は幸運にも家族や学校とどこかに旅行できる。
ときおり、長旅の後は、若い旅客はうるさかったり横柄であったり要求がきついことがありうる。
「もっと食事が欲しい」大きな少年は飴の包み紙を床に落として、こう言い張る。
「ぼくも」彼の友人が、大きな少年を後ろに押し退けて、こう叫んだ。
「いてっ」ある不幸なおとこは声をあげた。子供の誰かがこの辺で投げていな大きなボールに頭をぶつけたのだ。
「私のテレビ画面が壊れてるわ」幼い少女はチャンネルを回そうとしたがうまくいかず、そう叫んだ。
そんな感じが続いた。こんなことが起こったとき、本来のFAでいることが難しい。
ほとんどの人は怒鳴ったり反論したりしたくなるだろうが、FAは起こったり何か失礼なことを言ってはならない。
深呼吸をし、状況を鑑み、全てが円滑に進むように試みるのだ。
「少しの間待ってください。すぐに機内食を提供します。そしてそのゴミを拾っていただければ、あなたたちどちらも健康の良い食事を食べられますよ。」
「お客様、大丈夫でしょうか?ひどいわ。でも心配しないでください。誰が投げたか見ました。そのボールをお渡しください。教員にそれを渡しに行きますので。」
「テレビのコントローラになにか問題があったのでしょう?心配しないでください。たしかに動きませんね。ではTV画面の映画を変更するために、あなたのお母様と共有してください。」
これは、15時間を超える長いフライトFAが経験するかもしれない多くのことのほんの数例にすぎない
難しいことになりうるかもしれないが、人と会うのが好きで旅行をしたい人なら誰にとっても素晴らしい仕事である。
しかし想像がつく通り、聖人の忍耐が必要である。