PROGRESS21 BOOK4 LESSON4 READ 和訳

THE ANCIENT OLYMPIC GAMES

あなたはオリンピック競技を見るとき、お気に入りの選手を応援して、金メダルを勝ち取ることを願うだろうか?

そこにいてそのイベントを見れたらいいと願わないだろうか?

おそらく理解できないだろうが、オリンピック競技は2500年以上前に古代ギリシアで始まった。

近年のオリンピック大会は200を超える国々と1万人以上の選手、そして言うまでもなく彼らを取り囲む記者とカメラのための国際的舞台となった。

しかしオリンピックの起源はどこにあるのだろうか?

それを突き止めるには、古代オリンピアにまでさかのぼらなくてはならない。

 

もし2004年アテネオリンピックが紀元前776年にオリンピアで催されたら、決定的に明らかな違いがいくつかあるだろう。

まず、おそらく一番驚くべきことだが、全ての選手は裸だったのだ。

幸い当時は冬季オリンピックがなく、凍死する者はいなかった。

そして古代オリンピックはわずか五日間しかなかった。

 

オリンピアは非常に人が少ない小さくつまらない場所だった。

オリンピックそこで行われていないときは、人々は神殿で祈るためだけに訪れた。

しかし、オリンピックが催されると、7万のギリシャ市民が競技場に訪れた。

彼らは今のスペインほどの遠くから来た。

トイレや水道、ホテルもしくは宿、ゴミ箱もなくハエだらけだった。

人混みがすごく、汚く、とても暑かった。

人々はテントを立て、遠くから水を運び込んだ。

 

ではなぜ人々は来たのか?

アテネから旅行してきた人々はオリンピアに着くだけで200マイル(約320km)歩かなくてはならなかった。

道中で死ぬ人さえいたのだ!

しかし、古代オリンピックほど感動的で素晴らしいイベントがなかったため、人々は来たのである。

選手はヒーローだったし、ファンは選手をスーパースターのように扱った。

もし今日その選手の一人を見たなら、彼らがどれだけタフなのかに多分驚くだろう。

例えばボクサーは硬い皮のグローブをはめ、対戦相手の頭だけを殴った。

 

女性は古代オリンピックに参加することが許されなかった。

ファンはチケットにお金を支払う必要はなかった(全ての種目は無料だった)。

集団競技、球技、マラソンもなかった(一番長いランニング種目で3800mだった)。

古代オリンピックの優勝者にメダルは与えられなかった。

彼らにはオリーブの冠を受け取ったが、故郷に帰ると英雄的歓迎が与えられた。

試合に勝つと優勝者は生涯無料の食事が受け取ることが多かったため、市民は競技での勝利を強く願った。

 

古代オリンピックは1200年間続いた。オリンピックの名声は上がり、最も人気な勝者の像が多く作られた。

私たち皆が親しみ深い現代オリンピックは1896年に始まった。

オリンピックは平和と国際協調という新たなテーマに採用した。

多くの異なる文化から来た多くの選手が現代オリンピックに参加したため、以前のような強い宗教的要素がなくなった。

 

しかし、ひとつ変わっていないことがある。

現代オリンピックは今でも難しい挑戦であるということだ。

もし飛び抜けた才能(もしくは強運)がなければ、表彰台に立ち母国の国家を聞く機会は得られないだろう。

もしそれが望みならば、幸運があらんことを。

そして、私たちはみな自分たちのお気に入りの選手を応援し続けるだろう。

古代オリンピック

近代の第一回オリンピック


DIOGENES - HOMELESS BY CHOICE

古代ギリシア人は競争心が強く野心的で、オリンピック選手は成果を賞賛され羨望の的となった。

しかし、ディオゲネスという名の一人の古代ギリシア人は観衆が自分の名を応援するのを聞かなかったし、賞賛や褒賞を気にかけることもなかった。

 

安定した職に就くことに興味がなかったため、そうしようと思ったときに働いた。

自分の好きなように服を着て、時には物乞いのように見えることもあった。

彼はあちこち彷徨い歩き、常に他の人と考えを共有し討論する準備ができていた。

古代ギリシアは統一国ではなかったが、多くの独立都市で成り立っていた。

しかし、ディオゲネスはどの町や政府の元にも下らなかった。

誰かが彼にどこから来たのかと尋ねたならば「私は世界の市民だ」と答えただろう。

彼が今生きていたら、「好きでやってるホームレス」と呼ばれたかもしれない。

 

彼はこう言ったでしょう。「そうしたいなら、私を物乞いだと呼べばよい。しかしあなたがパンを一欠片くれるなら、私は知恵の言葉を与えよう。」

天気がよければ、ディオゲネスは星空の下で野宿した。

彼はかつてこう言った。「私ほど豊かな男がいるだろうか?私は空の屋根、芝生のベッド、花木の家具を持っている。」

彼は良い天候と食べる食事以上にはなにも望まなかった。

雨天や寒冷のときはあらゆる場所の宿をなんとか見つけ、たるの中を選ぶこともあった。

「この宿には家具もかける鍵もない。」彼は付け加えた。

ディオゲネスは1銭たりともお金を持つことはめったになかったが、お金持ちのように暮らした。

 

ディオゲネスは聡明な助言で有名だった。

かつて相手にどう勝つべきかと尋ねられた時、ディオゲネスはこう答えた「己の敵を友のように扱うことだ。誰も友情の申し出を断れない。」

彼の多くの知恵の言葉は常に真理であった。

彼はこう言った「もし知恵の導きの元に生きれば、きっと安全と幸福を見出すでだろう。シンプルな人生を送れ、さすれば幸せになる。幸せとは己の持つ物に満足することに存ず。」

 

ある日、偉大なる将軍アレクサンダー大王が偶然ディオゲネスと話した。

 

ディオゲネス:将軍、あなたの最も大きな願いとはなんでしょう?

アレクサンダー:ギリシアを征服することだ。

ディオゲネス:そしてギリシアを征服したら、何を望みますか?

アレクサンダー:ペルシャ、そしてギリシアの敵全てを征服することだ。

ディオゲネス:そしてギリシアの敵全てを征服したら、何を?

アレクサンダー:そのあとは安堵し人生を楽しむ。

ディオゲネス:では今すぐに安堵し人生を楽しんだらどうか?

アレクサンダー:ディオゲネス、あなたの聡明な助言に礼を言わせてもらう。ところで、なにかお返しに私にできることはないか?

ディオゲネス:はい、ありますとも。あなたは私と太陽の間に立ってございます。少し横に歩いてくれませんか、そうすれば日光浴を楽しめます。

アレクサンダー:(微笑みながら)あなたのような平和の心が私にもあれば良かった。私がアレクサンダーではなかったなら、他の誰でもなくディオゲネスでありたかった。

 

ディオゲネスは89歳まで生き、まだ30代だったアレクサンダーと同日に亡くなったと言われている。

両者共歴史に名を刻んだが、前者は聡明な先生として、後者は偉大な将軍かつ帝国創始者としてである

ディオゲネス像
犬のような生活をしてたことから犬儒学派と呼ばれた

アレクサンダーと会話するディオゲネス